2003年11月24日南極皆既日食(日蝕)観望旅行記(UP 2003.12.8)

別働隊(地上班)が南極に降り立ちました。

日食写真を見比べると、立地の違いが、一目瞭然です。いいとこ占拠した者と、追いやられた者と。

8月27日

南極大陸日食ツアーの新聞広告を見て、即、日通に電話をし、パンフレット請求と同時に仮申し込み。

9月6日

事前説明会は部屋一杯の参加者で、日食の説明を依頼された星ナビの方は、もうキャンセル待ちだと言っていた。申し込み書提出。

11月1日

最終説明会で、今回のツアーは各国複数の旅行会社のツアー客が、ケープタウンで合流し、現地の旅行会社を利用して一緒に南極旅行することがわかった。

日本側の参加者のうち、私が参加した旅行会社からは総勢33名うち2名がインストラクター(1人は彗星ハンター変じて超新星ハンターのI氏、もう1人は日本プラネタリウムラボラトリーのN氏)で1名は添乗員とのこと。インストラクターは日食とは縁のなさそうな方々で、タイムキーパーも居ないという。この時点で観測組は少し不安になる。

観測地の下見はレヴィさんらアメリカチームが実際に行って決め、平地なら1.2°のところを丘の南向き斜面なので太陽高度は2゜位になるという。

画像貼り付け予定地

 

11月17日

出発当日、インストラクターのうちN氏は、日食当日はNHKと合流するという話を聞いた。

今回の旅行は、南極大陸へ行くのであるが、成田⇒ヒースロー(英国)⇒ケープタウン(南アフリカ)⇒ALCIエアベース(南極大陸)という、南北をまたにかけた不思議な経路であったため、成田を発って北回りでまずは英国へ。途中シベリア上空でオーロラが出現し、ちょっとした騒ぎになった。ヒースロー到着後一旦英国へ入国し、荷物を持って南ア航空SA221へチェックイン。同じツアーの人のスーツケースのキャスターが一個こわれていただけで、他は全てセーフ。(実はヒースローは、物が壊れたり無くなったりする事で有名らしいが、テロの影響か、警備が厳重でトラブルも起きなかったのだろう。)

画像貼り付け予定地

 

 

11月18日

午前中無事ケープタウンに着く、

ここで、今回同じ現地旅行会社を利用する各国の南極大陸日食ツアー参加者が顔を合わせた、日本からは2つの旅行会社主催で集まった38人、アメリカからは40人。ここから先は、再びケープタウンに戻ってくるまで行動を共にする。この日は長旅の疲れを休めるため、昼食後一旦部屋に帰って休む、夕方ウォーターフロントのショッピング街へ。夜、現地旅行会社(トンプソン社)が用意した、南極大陸用の装備一式を受取る。

ケープタウンで受け取った、南極大陸用の装備一式の写真です。

 内容は、大きなキャスターバッグに入った寝袋、折り畳み椅子、防寒着上・下・外・内・4点セット、帽子、ネックチューブ、食器セットなど。防寒着はインナーとスキーズボンは大きくて身体に合わない。ジャケットはぴったりだった。インナーはヒマラヤで使用したものを持参していたので、やれやれ、と言ったところ。アイゼンは用意するという話だったが、なかった。私は念のために自分で4本爪軽アイゼンを持って行ったが、周りの人は持っていなかった。(UP 2003.12.16)

11月21日

予定されたケープタウン近辺の観光を済ませて、さあ、と南極大陸への出発の説明会に出ると、観測地周辺にはブリザードが吹き荒れていて、今晩は出発出来ないという。明晩また同じ時刻に集まるように指示される。大陸へ渡る荷物は午後飛行機に積んだ。天候回復次第出発するが、23日午前になるだろうという。強風にいくつかのテントがとばされたが予備があるので大丈夫だという。

   

ALCIのブリーフィング         南極地図

11月22日

25日に予定されていた観光を実施、夜の説明会で、嵐は去る予定、明日は出発出来るという。ギリギリ間に合いそう!

   

 南アフリカ天文台の古いドーム    南極には国籍はないけれど、パスポートを忘れてはいけません

11月23日

朝、出発が決まった。

11/23朝 さあ出発

手荷物は椅子の下に納まる大きさ1個までと決まっていたが、それでも2、3個になる人数名あり。ビデオカメラ、カメラ、三脚等機材の多い人々、それぞれ工夫して搭乗する。便名はIL9、ぺらぺらの南極大陸往復チケットを渡された。ケープタウン国際空港の待合室で日本科学未来館の毛利さんを見かけた。脇にひげのディレクターと思われる男性がつき添い、近づく一般人から毛利さんを遠ざける、どーして?!。出国手続きが済み、搭乗口へ。バスで空港の隅っこのIL(イリューシン)76TD型機まで空港のふちをぐるっと回っていく。

ここでのIL76TD型機にはタラップはつかず、鉄梯子を登る。中に80席の椅子が取り付けられ、私は○○席、1つ前の○○席に毛利さん、写真はそっと撮ったが、言葉を交わすことはできなかった。

機内は中程で仕切られ、後部は荷物室、布壁の左右にトイレが2つ、天井は剥き出しのクレーンのレールが走る。前部には大きなスクリーンが設けられ、機首のカメラからの画像やフライト情報を映し出した。

ケープタウン→ALCIエアベースまで6時間。時差2時間。眼下は雲、雲、雲。南極海の荒れる波風も上空には届かない。おだやかな飛行を続け、南極圏に到達する。ALCIのロバートさんがシャンパンをポンポンとあける。紙コップだけど、皆で南緯66.6゜通過を祝う。

(ALCI…有限会社アンタークティック・ロジスティックス・センター・インターナショナル:南極大陸の基地へ物資、人員の輸送を請け負っている。)

1人ずつコックピットの見学が許される。IL76TD型機の機首部分は下面もガラス張りになっていて、滑走路や他の地上部が見易くなっている。この独特な機体は、安定性の良い翼と4つのジェットエンジンを持っている。今年の日本の南極観測隊のうちドームふじへの夏季観測隊員も利用する。

IL76の内部 窓は4つだけ、天井のクレーンレール

風速50〜60m/sの暴風が吹き荒れた後だと言われても、ウソ?と思える素晴らしい無風快晴のALCIエアベースに少しガリガリと氷を削る音を立てて、3000mあるという滑走路の端にイリューシン機は停止した。ハッチが開けられ、今度はタラップが取り付けられた。

滑走路の向こうの小丘

氷上に降り立つ。ワーイ、とうとう来たんだという感慨が湧き上がる。バンザイしてカメラに納まる。一面の銀世界、空はあくまで青く、氷は青白く光っている、ずーっと地平線まで真っ平、近くに露岩の小山が1つ。

ここはALCI AIRBASEと呼ばれ、その付帯施設が整っている。

到着直後1
到着直後2

ロシアのノボラザレフスカヤ基地までおよそ10km。このALCIエアベースから、各基地へは雪上車や複葉単発のプロペラ機で移動する。ドイツの基地からは別のスキープレーンも飛んでくる。

そして今回の皆既日食帯に入っているのに目を付けたNHKが日本から特別仕様のジェット機を運び込んで来た。ハイビジョンで、実況中継放送すると張り切っていた。実況を放送したアナウンサーは、IL76TD型機にはいなかったような・・・?。

先のブリザードで飛ばされたテントに代わって新しくテントを設営する。でき上がるまで食堂テントで待つ。夕食までの間に第一回の遊覧飛行をするという。到着が遅れ、もう一泊二日しか時間がないので、予定した3種のアクティビティのうち確実なのは、このフライトだけだとロバートさんが言った。滑走路の先に居た2機のプロペラ機で内陸部へ2時間の遊覧飛行をする。ありったけ着込んで乗り込むよう指示される。

赤い宿泊テント、青いワークテントとNHK特別機

5時に1便2機が飛ぶ。定員は1機10名。

遊覧飛行の第一班が飛んでいくところ

夕食7時。2便の人は先に食事をし、観測器材を持って7時半に乗り込み、遊覧飛行後、直接観測地点へ行くという。他の人々は雪上車で観測地点へ。

私たち10名は第2便に乗った。小型機には何度か乗ったが複葉機ははじめてだ。何か昔の練習機赤トンボを思わせて懐かしい。

一面の氷原・雪原、一体どっちの方角へ飛んでいるのやらさっぱりわからない。やがて赤茶けた風化花崗岩の山脈が見えて来る。氷原には車の轍のような線が並んで走っている、クレバスだとは私以外に気付いた人はいなかったようだ。夕食を食べてすぐなので胃が落ちつかないが我慢して写真を撮る。

山岳地帯の盆地の雪上に着陸する。寒い、けれど外へ出てみる。写真の撮りっこをしてすぐに機内に戻る。引き返す途中、雪上車が3台、観測地に向かうのが見えた。ALCIエアベースを通りこしてノボ基地上空へ。露岩の上に点々と建物が見える。そしてインドのマイトリ基地を上空から見学。後、観測地に向かうものと思っていたらエアベースに降りてしまった。一度降りろと言われて準備していたら、すぐに今度はそのまま機内で待てと言う。どうしたのかと思っていたら、何やら2機とも、ガンガン・ガーガーと修理を始めた。え、このヒコーキ、調子が悪かったの?

でも、もう雪上車は皆行ってしまったのだからこれで行くしかない。修理が終わるのを待つ、いつ出発するかわからないので、トイレにも行けない。

もう、とっくに9時を過ぎている。ちょっと心配になる。やっと飛ぶ。観測地へ着いてえ?!、と思った。約束がちがうじゃない、南に下ったスロープだと言われていたのに、何と南上がりの斜面で、その頂の、太陽のいるあたりに小山があって半分かくれているではありませんか。先行の皆さんはすでに思い思いに展開してカメラを据えている。

本来レヴィさんが選んだツアー募集要項の観測地点は、あの丘の向こう側、南向きの斜面であった。NHK映像で毛利さんが居たあそこだ。

現地のNHKからこちら側には来ないでくれ、と追い返され、北面に陣取ることになったと、先行していた人達から聞かされた。もう第一接触を間近に控えて押し問答しているひまがなく、あきらめて機材のセットにかかったと言う。(後日、同室の人のHPを覗いて見たら、皆既日食の太陽本体の下が切れてました。)

私も場所をさがす、カメラを据える間もなく第一接触、何か食の進行が速い。半分位欠けたとき、尿意をガマンできなくなり、トイレを探す。トレーラーの上のトイレはゆわえつけられたままで出入りできない。やっと雪上車の中に見つけたものの前の人がちっとも出てこない。用を足して出て見れば、空は真っ暗、えーっ!とカメラに走るが、もう間に合わない。あきらめて眼視に切りかえる。第二接触、ダイヤモンドは光らず、すっと皆既になる。地平すれすれの太陽、コロナの下半分は切れている。でも、こんな低いのに、何て鮮明なんだろう。右上にフレアが吹く、左下も赤い。ミッドナイトブルーの本影錐、金星が光っている。地平の夕焼けと本影錐の境目がはっきり見えて、やがて第三接触、大きなダイヤモンドが光って真夜中の太陽の皆既日食は終わった。南半球では右から欠けて行くのだが、南極点を越えた向こう側の太陽は北半球での昼と同じで左下から欠けて行った。右上に光っている明るい星は金星だ

絵:第一接触後、皆既、第三接触あたり

のイメージ、雪原に人と雪上車と複葉機を描いたつもり

普通日食観測では連続撮影で第四接触までねばるものだが、−19℃の寒さ、しかも第一接触ぎりぎりの、下見なしのぶっつけ本番では、きっちり出来るわけがない。観望派ばかりでなく観測派でも第三接触までであきらめて即撤収にかかる。帰りは来たときと同じ乗り物に乗るというので荷物をまとめて複葉機のところへ急ぐ。寒い、寒い、少し風も出て来た。真っ先にエアベースに帰りつき、テントに入る。暖房が切ってあり、やっぱり寒い。食堂テントへ行ってみるがスタッフはだれも居ない。お湯もない。仕方なく、テントへ戻って寝袋を出しもぐり込む。とっても眠くて、周りの皆さんが○○○の横暴に憤慨している様子を子守歌に聞きながら眠ってしまった。1時頃だったと思う。○○○のこと。・・あんな状況にはなったが、良い画像を見せてくれるなら、帰って実況中継の録画を見れば納得もいく。しかし、あのていたらく、ピンボケ、ハレーション、的外れの解説、どれひとつ取ってもとんでもないものばかり、○○料なんて払わないぞ、の声は直後から起こっていた。帰ってビデオを見て、その感を深くした。事前に丘の北側に観測地が変更される、とわかっていればALCIエアベースに居た方が良かったのかもしれない。エアベースも中心線から外れてはいたが、皆既帯には入っていたのだから…って今頃思ってもねえ。(後日、同室の人のHPを覗いて見たら、全画像共に皆既日食の太陽本体の下が切れてました。生中継の影に、世界中から集まった”全大陸踏破患者と筋金入り日食患者”が、ツアー募集説明とは違う北側の斜面で見ることを余儀なくされ、第一接触が見えなかった上、太陽の見える位置が低くなってしまい、コロナの下半分は見えなかった。皆既の時のコロナの全景が見えないんじゃ・・・。終わった後に○○○の地上部隊の横を通ったら声をかけられ、二言三言会話した最後に「だけど、見えたんだから良いでしょ?」。・・・皆既の瞬間やダイヤモンドリングやコロナが見えれば良しというものではない、第1接触から第4接触までを見たいが為に大金を払い南極に行ったのに、・・・南極はみんなのものなのにね。ツアーの半数以上は外国人でした。)

11月24日

6時頃目が覚めた。テント内は暖かくなっていた。6時半頃食堂テントへゆく。朝食の席で今日の予定が発表された。次の嵐が近づいているので、今日の午後には帰る。午前中近くの丘まで散歩する。9時に集まるように、帰りの出発は昼食後の2時と決まった。スープがうまかった。入口の掲示板にドイツの基地からの気象情報が張ってあった。見ると、今日は一日天気は保つが、明日には悪化して曇り、ホワイトアウトの危険が迫っているという。ノボ基地マイトリ基地の訪問、露岩上を歩くというアクティビティの魅力は捨て難いが、あのベッド、とりわけトイレ事情を考えると早く帰って身体を休めないと、ロンドン→日本という長丁場には耐え難いものがある、賛成である。

    
泊まったテントの前で          食堂テント           黄色いのが食堂テント

ALCIエアベースの向こうに小さな丘がある。そちらの方向へ、ALCIのスタッフを先頭に滑走路に沿って歩く。底を張り替え、4本爪軽アイゼンをつけた登山靴を履いている。滑り易い氷の上だ。雪上車の轍の上を歩くように同行の皆さんに勧める。道はゆるやかに登り、下っていて、しばらく歩くとエアベースの施設はIL76の尾翼を残して見えなくなった。氷原に何やら黒い点に見えていたものは道標のドラム缶とわかった。歩いているのはインドのマイトリ基地への街道だった。1時間歩いて休息する。小丘の方を双眼鏡で見ると、赤いテントらしきものと数人の人が動いているのが見えた。あとで、山麓で待っていたN氏が話してくれたところによると、登っていたのは毛利さんを含む方々で、山頂まで行って来たとのこと。先行のアメリカ人グループのガイドがストックで×印を作っている。来るな、と言っているのである。あまり先へ行ってしまうと、帰りの飛行機の時間に間に合わなくなるためだ。山体は花崗片麻岩で板状の葉理が発達し、ガーネットがいっぱい入っていた、砂のような部分は強風に吹き飛ばされてしまうのか、残っていない、と言う南極大陸は資源の宝庫だ。ウーン、取っちゃいけないけどせめてこの目で見たかったなー。

午後、南極大陸に別れを告げる。思い思いに写真を撮り合い、タラップを登る。梯子は収納してあった。この簡易タラップは手すりがあるだけありがたい。

ケープタウンへの帰りの機内スクリーンには快晴の氷海が映し出されていた。かくして、一泊二日の南極大陸皆既日食ツアーは終わりを告げた。

ケープタウン空港に到着して入国手続きをした時のこと、便名IL9の往復航空券の提示を求められた。これを見せないで、クレームをつけられた人が居た。行き先の南極大陸では出入国のスタンプはくれないので、出入国スタンプの代わりにしていたのだと思う。

ケープタウンへ戻り、ホテルの部屋に帰りついたのは11時になっていた。同室の方はシャワーを浴びるとベッドにもぐり、即眠ってしまった。無理も無い。

私は空腹を満たすべく、湯を沸かし、アルファ化米に湯を注ぎ、シャワーを浴び、湯に浸かって喜びをかみしめた。荷物の中から皿と食器を取出して、遅い夕食。

 

集合写真1     集合写真2

11月25日

夜、日本への帰途に着く。空港で2003南極大陸皆既日食観測証明書をもらった。ロンドンへの機上で金星と並ぶ二日月、スバルをかすめる流星を見た。シベリア上空にオーロラは出なかった。

   

証明書             カード

11月26日

終日機内。

画像貼り付け予定地

 

 

11月27日

朝、成田着かくして私の南極大陸皆既日食の旅は終わった。

画像貼り付け予定地


参加者リンク

http://www3.nsknet.or.jp/~koikeda/

http://www.moonglow.net/eclipse/2003nov23/

http://www.kfm.co.za/content/breakfast/antarctic.asp

http://www.kagayastudio.com/now/antarctic/