2005年4月5日〜12日 (153枚有りますのでダウンロード完了まで少々かかります!)
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成田 → ニューヨーク 今回は、コンチネンタル航空を利用。エンパイヤーステートビルディングからマンハッタンを一望。摩天楼が続く。
思ったより暖かく、街の中には花も咲いていた。ケーキ&パン屋さんもあちこちに。華やかな街並みだ。
ニューヨークといえば、NewYork Yankees! 松井を応援しなくては!この日は、松井のヒットとホームランで快勝。
夜のタイムズスクエアーはにぎやか。ミュージカルもあちこちに。
ハドソン川の向こう側は、ニュージャージー。自由の女神が手を振っていた。
ニューヨーク → パナマ さて、ちょっとした寄り道をしたニューヨークを離れ、5時間の飛行の後、パナマシティー到着。空港を出たとたん湿った空気が体を包んだ。気温は30℃くらいあるだろうか。いよいよ観測地へやって来たという実感がわいてきた。ホテルから眺める街並みと太平洋がきれいだった。
商店街は、活気がみなぎっていた。通過はUSドルがそのまま使えるので、便利だった。物価は安く、タクシーは1ドルでかなりの距離乗れてしまう。どのバスもデザインに凝ってる!
パナマといえば、やはりこれを見ないわけにはいかないでしょう。パナマ運河だ。 運河には、次から次へと大型船が重そうな荷を積んで航行していた。
パナマ共和国、第2の都市コロンへ出かけてみた。パナマ運河の北側入り口になっているところ、つまり大西洋側。ちょっとしたイベントもやっていて、賑やかだった。
パナマに到着してから何度もインターネットカフェへ行って天気予報や雲の動きを確認してみるが、雷雲が多い状況が続いていた。本来なら4月は乾季で、毎日晴れているはずとのこと。今年は異常気象なのか、もう雨季のような天気が始まっている。2005年4月8日、金環日食当日を迎えた。朝、ネットで雲の動きを確認。どうやら、コロンビア側の方が天候が良さそうだ。シティから200kmと遠いが、思い切ってパルマ湖の近くを観測地と決め出発することとした。街でタクシーを貸し切って、向かおうとするのだが、運転手に行き先を告げるとスペイン語で一生懸命何か訴えてきている。運転手は、近くの交番に入りお巡りさんを呼んできて、事情を説明してくれたらしく、お巡りさんに聞いてみると、英語で、途中で道路が寸断されていて行けないとのこと。仕方なく、西に移動することに。 今度は、パナマシティから西に100kmのサンカルロス市を目指した。この運転手さん、とにかく飛ばす飛ばす。しかもクラクションバンバン鳴らす鳴らす。日本と違い、ハンドルの中に小さい(後付なのか?)赤いボタンがあり、とにかくよく鳴らす。アメリカンハイウエイを西に向かう。
しかし西に向かうにつれ、どんどん天候が悪くなる。ついに激しいスコール。前の車が見えないほど。心配が募る。
再び、あっという間に天候が回復。サンカルロス市に到着の頃には青空がまぶしすぎるほどだった。運転手さんと昼食をとりながら観測地の相談。近くの砂浜に決めた。つまり太平洋側ということだ。遠くに入道雲があるのが少し気にかかる、、、、。
さっそく浜辺で機材を取り出しセッティングしようとすると、運転手さんが真剣にカーラジオから聞こえる話に耳を傾けていた。どうしたの?、と尋ねると、ペノノメ市では、多くの観測者が集まって準備を始めているとのこと。天候もほぼ快晴らしい。ペノノメ市はここからさらに50kmほど西に進んだところにある。まだ日食の始まりまで4時間はあった。やはり、遠くに見える入道雲が気にかかっていたので、ペノノメ市が快晴とわかれば安心だ。さっそく移動することに!
サンカルロス市からペノノメ市までは1時間ほどだった。途中大きな雲が続いていたが、ペノノメ市に近づくにつれだんだん少なくなってきていた。移動して正解だったと思った。ペノノメ市では、小さな空港が観測会場となっていた。入場1人2ドルを支払い中に入る。入り口には警官もいて安心だ。定番のTシャツ屋さんも来ていた。
滑走路の横には、もうすでに200人くらいの人たちがやってきていた。自慢の機材を出して準備中の様子。
マスコミもやってきていた。テレビの画面には、おそらくパナマ国内3箇所から中継されている映像が映し出されていた。
さて僕も準備開始。といっても、三脚を出して、ボーグにニコンD70を取り付けるだけ。と、準備を始めているとお隣に日本人?声をかけてみると日本語が返ってきた。東京からやってきた渡辺さん親子。娘さんは1泊5日の強行スケジュールとのこと。 すると、なんとなく自然に日本人が集まってきた。村松さん、森行さん、桂さん、横田さん、松本さんたち。かわるがわるカメラを覗き込んだりして、一緒に金環の瞬間を迎えることにした。観測地恒例の「星の降る里」記念撮影に加わっていただいた。(村松さんから送っていただいた写真もあります
なんとなく、いやーな雲がやってきた。それまでほぼ快晴に近かったものの、金環の時間に合わせたように迫ってきた雲。この雲を恐れ、移動していくグループもあったが、日本人グループはみなここでその瞬間を待つことにした。ハラハラどきどき緊張の時間が続く。
現地時間、2005年4月8日 16:00〜の写真です。途中雲に邪魔されつつも、撮影に成功しました。金環の時間はたったの15秒ほど。17:12分の出来事だった。
金環日食の様子を動画にしました。
なんと金環が終わって、わずか15分後には太陽の姿がわからないくらいの雲に覆われてしまった。本当にラッキーだった。集まった人々からは歓声も上がっていた。今回、99.8%の食分ということで極細のリングを期待していたが思いのほか0.2%の太陽は明るかった。手元足元が確認できるほどの明るさは残っていた。薄雲もあったので、コロナが見られたかどうかは定かではないものの、あれだけの明るさがあれば、無理だったのではないだろうか。現場に居合わせた日本人同士の会話は、既にもう来年の日食の話になっていた。今度はしっかりコロナを見たい! 撮影した写真をさっそく日本に送った。信濃毎日新聞、長野日報に掲載されました。 今回の日食でお世話になった皆さんありがとうございました。来年はトルコかリビアでお会いしましょう。 第7次原村星の降る里日食観測隊、これにて解散。
村松さんの画像
以下画像調整中・・・後日UPの予定 |