原村星の降る里 日食観測隊

〜サハラ砂漠皆既日食を追って〜    2006年3月29日 

 

オーストリーのウィーンで、日本人、ドイツ人、スイス人、オーストリー人などが合流し総勢140人の団体となりチャーター機でリビアへ向かった。飛行機はウイーンから南下し、ユーゴスラビア → イタリア上空を経て、真っ青な地中海を眼下に見ながら進んだ。すると青い海とは対照的な褐色のアフリカ大陸が見えてきた。乾燥しきった砂漠の所々には農業プラントでできた丸い農地が見えたが、どうやって水を引いているのかが不思議に思えた(深井戸らしい)。砂漠の中の小さな町「セバ」に着陸した。

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小さな空港にも日食のポスターが貼ってあった。テレビモニターにはカダフィー大佐の写真が映し出されていた。んっ〜、なるほど、と思いながら荷物を運び出すと現地のポーターたちが荷物をトラックまで運んでくれた。一見バスのようにも見えるが、トラックを改造したもので荷物はすべて屋根の上。ミネラルウォーターが配られた。トラック4台で観測地を目指し500kmの道程が始まった。

 
写真A−15

 

果てしなく続く砂漠をただただひたすらトラックは走る。走るとはいえ時速およそ30〜40kmで意外にのろのろ運転。地面がパウダー状の砂だったり小さな石ころがコロコロあるため、スピードも出ない状態。トラック内は蒸し暑いが外の砂ぼこりがひどいので窓を開けられず辛い。気温は30度ほど。蜃気楼まで見えた。数時間に一度、青空トイレ休憩でサハラの空気を吸う。

 
写真B−12

 

砂漠のオアシスは、思っていたより大きかった。古い噴火口らしく、ほぼ円形のくぼ地に細長く池ができていた。水を飲んだ人の話だと"しょっぱい"とのこと。

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砂漠の中の臨時観測地ワウアナムスにはテントが用意されていた。荷物を紐解き観測準備開始。みんな思い思いの撮影方法で皆既の瞬間を狙う。観測地では、衛星回線をつなぎインターネット可能テントも用意されていた。日食記念切手や、民芸品の販売もあった。さらに、民族音楽と踊りの披露もあった。観測はデジカメとビデオ撮影の両方成功となった。夕飯は、砂漠の中で食べるリビア料理を堪能。でもさっきまで聞こえていたヤギの声がしなくなっていた、、、。

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観測成功を祝い、居合わせたリビア人とともに記念撮影。

              
写真E−1   写真F−1

ずっと気になっていたことがある。トラックで砂漠を移動している時、どうしてこんなところに?、と思えるような何もない砂漠の真っ只中でも目にした空き缶やペットボトルの空、ビニール袋などのゴミ。この観測地の周辺にもご覧のとおり。ゴミを回収する習慣はないのだろうか?

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観測を終え、トラックと国内線を使いリビア共和国の首都トリポリにやってきた。トリポリは地中海側にあり、青い海が見える落ち着いた歴史を感じる街だった。音楽の生演奏を聴きながら食べたリビア料理はGOOD! 街の中では、水タバコを楽しむ風景も。やはりカダフィー大佐看板もよく見かけた。

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トリポリから1時間ほどのところには、古代遺跡レプティスマグナがある。ここは、つい80年ほど前に見つかったばかりで、それまでは砂に覆われていたらしい。現在発掘されたところもあるが、その大部分が手付かずのままになっている。海岸沿いの部分などは、まるでテトラポット状態。当時の水洗トイレにはみんな興味津々。

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サハラ日食を終え帰国の途に。でもせっかくここまで来たのだから恒例の"ちょっと寄り道"。アラブ首長国連邦の首都ドバイに寄ってみた。さすがお金持ちの国のエミレーツ航空は、天井がプラネタリウムのように星が瞬く仕組み! エコノミークラスとしては、食事もちょっと豪華!? ドバイの空港はさすが立派なつくりになっていた。旧市街の方へ足を伸ばしてみた。ゆっくりとした時間が流れていた。

次回は、2006年9月22日南米金環日食を目指す! これにて、サハラ砂漠皆既日食観測隊解散。

写真J−18